わたしはツイッターでよそのうちのねこさんたちの様子をみるのがとてもすきなんだけど、フォローしていたひとのねこさんがなんの前触れもなくしんでしまって、めちゃくちゃかなしい。その日の朝までいつもどおりごはんを食べている様子を写真でみていた。どうして…。一方的にだけど、画面越しに毎日会っているような感覚でいたので、相当ショックだった。飼い主の方のかなしさははかりしれない。かってにフォローしているだけなので話しかけたりはしないし、ことばもみつからない。あまり気を落としすぎないで、っておもうのも、元気出してっておもうのも、違う気がする。かなしい気持ちがはやく癒えることがほんとうにいいことなのかわからない。ただなにかを漠然と祈るきもちでいる。
あたりまえだけど、いきてるものはかならずしぬ。そういうことを思い知らされることがたまに起こる。生活してるとすぐ忘れちゃうのはどうしてだろう。つねにいつしぬかわからないから全力でいきねば…なんて思ってたらストレスでそれこそはやくしんじゃうよな。だけどちゃんとすきなひとやすきなものに愛を注がねばって、おもった。
人間がすきだ。音楽がすきだ。かくことやかんがえることがすきだ。ねこやいぬがすきだ。たべることがすきだ。ねることもすきだ。すなおにすきなんて言えないけど、家族のこともだいじだ。あーよかった、すきだとおもえることがたくさんある。
日記を書くことになんの意味があるんだろうとおもっていた。しんだことないのにしぬ側からものごとを考えていたので、どうせしぬのに…みたいな気持ちでいた。なげやりにいきていたのでめちゃくちゃ自己中だった。(ジコチューということばなんかなつかしいな。)
いきてる自分をまんなかに据えてものごとをかんがえたら、日記っていましか書けないしおもしろいとおもう。まあしんだときにだれかに見られたらそれこそしぬほど恥ずかしいかもしれんけど。でもしんでるしな。ははは。あとのこととか考えすぎないで、もっとおもったことを残していってもいいのかもなあ。システム手帳とやらをつくってみようかなあ。帰ったらだらだらして寝る毎日だけど、その日を振り返る時間をつくったらいいかもしれない。
おはようございます。
休みの日ほどはやく起きちゃうよね。
台風、どうにかこうにかしのぎましょう。
すきっていうには、いきてなきゃ。
ねこみ