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停滞の夏を暴くには

最果タヒさんの「好きの因数分解」を読んでいて、「書くことが好きなんじゃなくて、書かない時間が嫌い」って言ってて、天を仰いでしまった。(正しくはバスの天井を仰いだ)

これだよー。夏のあいだはずっとこれだった。なにか書こう、というきもちがあるんだかないんだか。衝動のようなものが自分から離れているようでこわかった。毎日寝て食べて仕事して、わらったりおこったりないたりしてたら「書く」隙間がないような気がして。でもどこかくるしい。満たされているのにからっぽになっていく。このままでいいのか?謎の不安。書きたい、というよりも、書かないでいる自分がしんどいんだ。あの衝動が恋しい。もう一生味わえなかったらどうしよう。その時間がいちばん生きている心地がするのに。でもその感覚すら忘れていた。

最果タヒさんのことはずっと知ってて、雑誌の最後のコラムをよく読んでた。詩人という職業にもちろん憧れがある。だから嫉妬している。わたしは書くことをたぶん職業にはできないんじゃないかとおもう。仕事にしてしまったら書けなくなる気がしてならない。やってみたこともないのにわからないけど。

いつもなにか書こうとして、いや、書くときだけじゃなく、生活全般でそうなんだけど、わたしは足のつかない海みたいなところで、顔だけだして、あっぷあっぷしているみたいなイメージなんです。必死でつかめない水のなかでもがいて、なんとか顔はだして、すくない空気をちょっとだけ吸って吐いて、やっと息をしている、みたいな。いつも考えが足りなくて、容器ほとんど水で満たされたところの、わずかな隙間で思考しているような。だから支離滅裂だし、ほらこの文章だってもうわけがわからない。書きたいことの半分も書けているかわからない。これが、書くことをたくさん重ねればもっと自分の考えにぴったりあった文を書けるようになるようなことなのか、そもそもわたしの性格上無理なのか、生まれ持ったものなのか、よくわからない。

最果さんの文章は、めちゃくちゃ「わかる」の連続で、まるで自分の胸の内をみてるみたいなところもあるんだけど、でもわたしはこんなふうに自分の書きたいことを書けない、ここまで思慮深く思考できないし、それを表に出して胸を掴むような文章にもできないだろう、それがくやしい。でもこの文を読めて本当によかった、くやしい、いい。羨望と絶望。絶望はいいすぎだけど。とにかくわたしはそういう予感がしていてずっと最果さんのことを勝手に遠ざけてしまっていたんだけど、やっぱり予感は的中。絶望しながらやっぱりすきだなと思っている。書くことをかんがえるきっかけになった。いま読めてよかった。

毎日同じ服着て、人と会話するの苦手だなーと思いながら、それでもなにもしないでいるのもこわいから、とりあえず働いて、でも理想のようにはまったく動かなくて、人に迷惑をかけてどっと疲れている。そもそもわたしはなんでこんなに動かないんだろう?動けないんじゃないんです。動かない。どこかでいろんなことに納得できていないのか。いや、ただただ面倒くさいんだ。びっくりするほど自分が面倒くさがりだということを最近嫌というほど実感している。にんげんってこういうものなの?わたしだから?荷物はどんどん部屋に溜まっていく。それを許せる心はないのにからだが動きたくないって言ってる。支離滅裂だよ。何も考えずとりあえずうごけよ。客観視できないからとんでもなく使えない奴になってる。考えすぎて結局考えてないのといっしょになってる。どうすれば。助けてほしいけどこれはじぶんでどうにかするしかないのかな。誰かを模倣しようとしても全然うまくいかない。土台が変わらないから。無理無理と思ってるからな。最後には灰になるってわかっているのにな。胸がぎゅっとする。ずっと。このままでは早めに灰になってしまう。馬が走る草原、海の見える崖、閑けさがうるさい森、そういうのをもとめている。このぎゅっとなるやつから解放されたい。この思考はふつうですか?みんなそうですか?わたしは特別ではないですか?みんな自分が特別だと思って生きていますか?わたしは自我が強すぎるんだろうなあ。きしょいですね。

毎日すきな服着て、へんな色の髪の毛をすきに結んで、ピアスして、マニキュアして、すきなことばを綴る。なるべく自然の近くで、そういう生活がしたい。これがたぶんほんとうだ。ほんとうを求めたい、いきているならそれがいい、それがいいのにいまわたしはどこに向かっているんだろう。そっちにいってもいいの?いつかいけるんだろうか。いきたい。いますぐに。それはぜんぶを振り払うことになるんだろうか。だいじなものを掬ったまま、そっちにいくことはできないだろうか。いまのじぶんが、どの位置にいるかわからない。思ったよりも水は少ないのかもしれない。ほんとうは足がつくのに、とんでもなく深いって思い込んでるだけかもしれない。でもやっぱり脳みそはいつでもあっぷあっぷだ。さらされるとぎゅっとなる。あさはかだ。どうしてすぐあせっちゃうの?凪ぎたい。凪ぎたいです。

あー、ここまで書いて、ちょっとすっきりしました。書いているから。書いたらどうなるか、より、書いているこの時間なんだよ。じぶんよ。