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ぬいぐるみとしゃべる人はやさしいを読んでむねがつぶれたからといってじぶんがやさしいと勘違いしてしまうことがこわい

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母とたべた不二家のショートケーキは完璧だったよ。

 

 

 

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

を読みました。

https://www.kawade.co.jp/sp/isbn/9784309028743/

 

男とか女とかってなんなんだろう。辞書を引いてもわからない。わからないままで書かれている気がする。

わたしはジェンダーとかフェミニズムとかカタカナの言葉がなんかあんまりすきじゃない。うるせえとおもってしまう。そんなの知るか!って突き放したいわけじゃない。カタカナ言葉でとっつきやすく見せかけて印象的にしてこれについてもっとみんな声を大きくしていこう!ひとりひとりが考えていこう!みたいな目が澄んだ空気がこわい。考えるべきだと思うしいろんなところで疑問を感じているし、考えたいと思っている。おしつけがましくしないでほしいんだとおもう。みんないろいろ抱えている。ジェンダー文学ってなんだ。どうしてすぐなまえをつけるの。「そういうもの」にしたがるの。このひとはよのなかにころがってしまっていることをすくって物語にしてくれた。それだけだ。そうおもっている。

ところでわたしはおっきいおっぱいがこわい、それを商売道具にしたり、それによってたかったり、いやだな、とおもう、でもおっきいおっぱいを誇りにして強く生きている人もいる。だからそれを問題にするべきかわからない。いろんなひとがいていろんなことをいうよ。ほんとうにね。男も女もかんけいなく、みんな平らだったらいいと思う。そうはいかない。こんなこと表面上はおもっていても、いざ日常に落とし込むと男と女にとらわれているじぶんがいる。あーって、もやもやしながらも、口にしてしまう。そのほうがわたしにとってもわかりやすいんだ。まだ。それがそこまでつらいことなのかどうかもわからない。女だから得していることもきっとある。鏡をみてかわいくなりてえと嘆く毎日。かっこいいひとにも憧れる。でもわたしはかわいいものがすき。車とかあんまり興味ない。それは女だから?ちがう。わたしだから。そういうことなんだろうか。

たまたま気が合うひとと出会えた、それがたまたまおとこのひとだった、でも彼がもしおんなだったら?あなたがもしおとこだったら。七森と麦戸ちゃんみたいに、男と女を超えたところでだいすきだとはっきり思えるのがいいなあとおもう。

母は結婚してドレスを着たわたしが見たいという。結婚してドレスを着た娘。わかるような気はするけど娘を育てたことがないからほんとうには気持ちがわからない。ドレスを着ることがいやなわけではない。でもどうして結婚してドレスを着ることがゴールみたいに言うんだろう。女だから?おとこだったらもっとほったらかして育てたんじゃないだろうか。つぎはこどものことを言うのかな。わたしの人生なんだけど。わたしの人生。でもこれは親がいたから生まれた人生でもある。でもそれはちがうよな。それはなんというか、ずるい。それを言われたらおわり。やっぱわたしの人生じゃん。わがまま?親の気持ちわかってやれよ、って思う?一生に一度しかないとかって、なに?家庭を持つことがなによりのしあわせ?いま十分しあわせで、たぶん結婚してもいまもなにもかわらないから、いっしょにいるためのわかりやすい手段?が結婚なんだとおもっている。憧れすぎるのはちがうとおもう。指輪とか式とか新婚旅行とか入籍とか、言葉のもつきらきらさ加減に浮かれるのももちろん醍醐味なのかもしれないけれど。あくまで生活。息。そこに男とか女とかついて回るの古くさい。いやだなあ。いっしょにいたいだけなんですが。そう胸を張ってつっぱねていけたらいいのに。

ぬいぐるみとしゃべるかわりにわたしは文章にしてネットの海に流しているんだと思う。これを読んで、誰がどう思うとか、あんまり考えられていない。七森や麦戸ちゃんのようになりたい、でも白城のきもちもわかるし、ほんとうは白城がいちばんやさしいのかもしれない。やさしいってなに?先回りして勝手に傷つくことがやさしい?繊細ってなに?考えすぎて、でも結局だれかが傷つくことよりも自分が傷つきたくないだけでくちをつぐんでしまうわたしは、この物語のなにに共感をしてむねがつぶれたのか。共感したつもりになっているだけなのかも。自分はこんなに綺麗じゃない。ああいい話だったなで終わらせたくもない。でも、やさしい、に圧倒されただけかもしれない。